ゲイリー古川橋バイオグラフィ
〜その3〜
○ 生誕、スクールバンド時代
○ 電撃パンクロック・スター
○ 孤高の天才ギタリスト伝説
○ ゲイリー古川橋イズノットデッド
1982年
恋人チャッキーの紹介でスカバンド「ポール・ニューマンズ」に参加。売れないバンドだったが、ゲイリーのギターが噂になり、すぐに人気者になっていった。
クリスマスイヴにメンバーのジャン(Vo&Tp)、ジョン(Key)、ジョー(Per)が銀行強盗未遂で逮捕されたため、残りのメンバーで「The Gary Furukawabashi Band」として再編成される。メンバーは、プディング(B)、カウリスマキ(Ds)、ゲコウ(Tb)。
サイクルの早い国内メディアでのゲイリー人気は一時のピークを過ぎ「一発屋」として処理されつつあったが、ロンドンでは「ロックは死んでいなかった、なぜならゲイリーがその証明だ」というPunk Music Review誌の記事から火がつき、ブレイク目前であった。
1983年
インディーズ映画「下水道管」(郷山ファルコン監督)の音楽担当と出演のため、バンドと共に一時帰国。各地からのライブの要望に応え、急遽全国ツアーが決定(国内40カ所)。
シノダ狸のプロデュースでアルバム製作の準備に入ったが、レコード会社社長がアイドル歌手・尻野モモカと駆落ちする、というトラブルで頓挫。結局3週間のち再びロンドンへ戻る。
ライブハウスで演奏を聴いて衝撃を受けた、ロンドン975アンブレラ工業の社長、パルテノン・チャンは、「傘をささないロンドンっ子に売れん傘を売るよりも、これからはゲイリーを売りたい」と傘工場を売却する。
チャン社長は残した元・配送用の倉庫にレコーディング機材、レコードプレス機などを導入、「975レコーズ」を設立。ゲイリーのバンドと契約を果たす。第一弾として、シングル「ミッドナイト・サイクロン」リリース。U.Kシングルチャート1位となる。
1984年
975レコーズよりアルバム「コーリング・ロンドン」リリース。U.Kアルバムチャート連続13週1位。この売り上げにより975レコーズは急成長、オールド・ボンドストリートの一等地に本社ビルを進出させた。
映画「下水道管」ベネチア映画祭に出品。金獅子賞も囁かれたが入賞せず。主演男優よりもゲイリーが話題になる。
ちなみにこの年のカンヌ映画祭ではヴィム・ヴェンダース「パリ、テキサス」が受賞しているが、そのインタビューの中でヴェンダースは「次回はフルカワバシで、天使を題材にした映画を撮ってみたい」と語ったと伝わる。
全英ツアー最終日、機材車からミッドナイト・サイクロンギター紛失する。そのすぐ後、ローディであったカナダ人青年が姿を消す。ゲイリー、「フライドポテトをもらいに放浪する」と書き置きしたまま行方不明となる。周囲は皆またか、と漏らしていたが、その後の消息は途絶えたままである。
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