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ゲイリー古川橋バイオグラフィ
〜その2〜

生誕、スクールバンド時代
○ 電撃パンクロック・スター
孤高の天才ギタリスト伝説
ゲイリー古川橋イズノットデッド


1979年
当時の人気パンクバンド「ザッツ・ヒエラルキー」ひかげ忠臣(Vo)は、エミリ(G)が抜けた後がまを探していた。たまたま訪れた「尼崎市立第2湾岸工業高校文化祭・大視聴覚室オンステージ」で演奏していたゲイリーにひとめぼれして声をかける。

ゲイリーは正式メンバーへの誘いは断ったが、サポートメンバーとして1ヶ月間ザッツ・ヒエラルキーの全国ツアーに参加、注目を浴びる。ツア−中の芸名は「横山ポンプ」。

一方でトーマス・アンド・トムソンズは、淀川が東大理工学部受験のため脱退、パンダは落語家・ハヤシ家とてちつてに入門するため脱退、実質バンドは解散となる。

ゲイリーはパンダと共に高校を中退したのちの3ヶ月間、そのままパンダについて「新弟子の扶養家族」としてハヤシ家とてちつての家に住みついていた。

1980年
(この年のゲイリーの動向は不明。新宿区新大久保に住んでいたと思われる)

1981年
なんとかトーマス・アンド・トムソンズを再結成デビューさせたかった敏腕音楽プロデューサー・シノダ狸は、淀川(b)とパンダ(ds)を呼び寄せ、録音までこぎつけた。

だがメンバー2人はその道でプロになるつもりがまるでなかったため、初シングル「殺し屋ロック」(モンスター・スターレーベル )はバンド名義でなくゲイリ−古川橋名義のリリースとなる。

発売後、有線リクエストで火がつき(一説によるとMBSラジオ・ありがとう浜村淳です、から)、瞬く間に大ヒットする。

ところが、ゲイリーは「おにぎりをもらいに放浪する」と書き置きしたまま行方不明となっていたので、発売以降TV局からのオファーも数多くあったが、メディアには一切露出していない。デビューライブも行なっていない。

殺し屋ロックはこの年のレコード大賞にノミネートされるが受賞せず。当時のメディアでは、「ゲイリーは雨降ってるから、という理由で受賞を辞退した」と報道された。

ちなみにこの年の大賞は寺尾聡「ルビーの指輪」であった。誰に伝えたいですか?というインタビューで寺尾聡は「親父と、そしてゲイリーに...」と答えたという。実はその頃ゲイリーは、単身ミッドナイト・サイクロンギターを抱え、ロンドンに旅立っていた。

1982年
ロンドンに渡ったものの、ちょっとしたトラブル続きでアパートが借りられず、仕方なくゲイリーは、ハイド・パークでテント生活を始める。

そこで運命的に出会った17歳の少女チャッキーと恋におちる。チャッキーは、ポートベローのレコード店主、ジャック・ピースマンの娘。やがてそのレコード店の2階に下宿はじめる。

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G.F.I.N.D

ゲイリー古川橋イズノットデッド


バイオグラフィ
196X〜1978
1979〜1982
1982〜1984
1984〜

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