ゲイリー古川橋バイオグラフィ
〜その1〜
○ 生誕、スクールバンド時代
○ 電撃パンクロック・スター
○ 孤高の天才ギタリスト伝説
○ ゲイリー古川橋イズノットデッド
このページでは私ストーンド景山が、ゲイリーの軌跡を追いつつそれを通じて、一瞬の閃光に似た「青春」という実体のないものの意味を読者の皆さんと模索できればと考えている。
最終更新日:2006.10.4
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本名もゲイリー古川橋。名前の正しい英表記は「Gary Furukawabashi」だが、「Galy Fullkawabasi」とつづるようになったのは、レコードジャケット製作時のスペルミスによるものだった。・・「つづりは別にどうでもかまわない。それより、好きなタイプは風吹ジュンさん」(1984年9月、英・Punk Music Review誌にて語る)。
生誕
1960年代前半(諸説あり)、東京町田に生まれる(諸説あり)。父親はアイルランド人の自称貿易商・K. Pleasants、母親は元ストリップの女王・グリーンベルベット麗奈。ちなみにグリーンベルベット麗奈は当時の成人映画に1本だけ出演しており、DVDでの再発が望まれている。タイトルは「実録みだらな女子高生シリーズ・あんたしょせん私の家畜じゃん」。
少年時代
ゲイリーが小学生のとき父親が詐欺容疑で国際指名手配となる。父親は逃亡生活へ。中学にあがるとすぐ母親も家出するが、この時は母親から「若いカックイイやくざ者と駆け落ちしたいがアンタを捨てていいか」と相談されたという。ゲイリーは別にかまへんよ、と母親を後押しした。以降母方の実家・尼崎の祖母に預けられる。
1977年
ギターを初めて手にする。1週間後にはバンド「トーマス・アンド・トムソンズ」を結成する。メンバーはゲイリーの他に、同じ学校に通うジョニー(G)、淀川(B)、パンダ(Ds)。1ヶ月後にはライブハウスに出演し始めた。大阪バハマでは、1ギグ5,000人動員という記録がいまだ破られていないという。ギャランティを独り占めしようとしたジョニーともめ、乱闘騒ぎになった。
1978年
当時神戸三宮のギタークラフト教室の講師に来ていたMADダン鬼六に出会う。夏の終わり頃、スーパーカブに乗ったゲイリーが宇都宮の鬼六の工房に現れ、オリジナルデザインのギター(のちにミッドナイト・サイクロンギターと呼ばれる)を発注する。絶妙のツインギターと云われながら関係の溝が深まっていたジョニーは、英会話教材会社へ部長待遇入社を機に脱退する。
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